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Chef pâtissier

Shutarou Konno

見た目の美しさと素材の美味しさが調和する、 Pâtisserie MAneの繊細な焼き菓子やケーキの数々。

その魅力の秘密をひもとくために、MAneのお菓子の大ファンである筆者が、シェフにインタビューを行いました。
これまでの道のりを辿っていくと、真面目でちょっと“おかし(お菓子)な”シェフの人物像と、MAneのお菓子づくりのルーツが見えてきました。

NOTRE HISTOIRE

「ただただ、ずっとおいしいものを食べていたいと思っていました。」

そう幼少期を振り返るのは、ここPâtisserie MAneのシェフパティシエである金野(こんの)さん。

―パティシエを目指すきっかけは何でしたか?

「物心つくころには、テレビの料理番組にかじりついて料理をしたり、友達に振舞ったりしていました。
きっかけは本当に“甘いものが好き”という気持ちひとつで。そのままパティシエを目指して製菓専門学校に進学しました。」

パティシエ人生の第一歩、挫折を経験した下積み時代

卒業後、金野さんはフレンチレストランの門を叩きます。

「フレンチコースの最後を飾るデザートの専門パティシエという職は、当時ようやく日本でも確立されてきた頃でした。憧れと勢いでスタートを切ったのですが…実はそこでは長く続きませんでした。自分の甘さを痛感し、大好きだったお菓子づくり自体が嫌になって。何もしない日々を1年過ごしたりもしました。」

初めての就職で経験する、厳しいプロフェッショナルの現場。様々な苦悩に心が折れ、金野さんのパティシエ人生は順風満帆なスタートとはいかなかったようです。

―そこからどうやってお菓子作りに戻って来られたのですか?

「甘いもの、おいしいものが好きという、今も昔も変わらない軸が支えになりました。それから、やっぱりこの仕事がしたいなと考えたときに、パティシエならケーキを作らないとという自分なりの原点に立ち返ることができました。」

再就職した地元札幌のケーキ屋さんで、レストラン時代はあまり携わらなかったケーキづくりに、どんどんのめり込んでいったと金野さんは語ります。

充実した修行の日々

「ちょうどその頃、師匠に恵まれ、“お菓子は味が命”という今でも大切にしている教えに出会いました。華やかな飴細工も、奇抜なデコレーションも、すべてはまず、おいしいことありきだと。
当時25歳。修行の地を東京、札幌、仙台と移し、飛び回る日々でした。」

挫折を経験しつつも、パティシエとして技術と味覚を磨き、華々しいコンクール受賞も果たした金野さん。修練を積み実力を認められていくなかで、ケーキを作ることからケーキ屋さんを営むことへと視野を広げ、新たなステージを目指します。

志とご縁が導くままに

「新店のプロデュースに携わった仙台で、それまでやってこなかった経営の話で当時の店長と語り明かしました。」

「調理場に立つ時間以外は、お菓子の本をひたすら読みこんでいました。でも知識が入るのに対して技術が追い付かなくなって。
…いっそ本場フランスで修行を?と頭を抱えていたところに、とある神奈川のブライダル企業とご縁が生まれました。そこのトップシェフがフランス菓子のプロだよ、と友人から誘われ『神奈川ならフランスより近いじゃん』と、移籍を即決しましたね。」

第2の師匠にいちから基礎を叩き込まれ、金野さんはそこでの日々をさらに自分の糧にしていったといいます。

「この頃はお菓子づくりにどっぷりと浸っていました。街中で特徴的な建物を目にすれば、お菓子にしたらどんなデザインになるかな?どんな味がするだろう?なんて考えたり、音楽を聴いて、このストーリーをお菓子で表現したらどうなるだろう…と空想していました。」

―はたから見ると、ちょっと変わっていますね(笑)

「そうですか?(笑) でも基本は、砂糖ってなんだろう、小麦粉ってなんなんだろうっていう、そこから始まりました。」
「どこまで焼くの?なんでそこまで焼くの?って、素材のことを考えたらすべての選択や工程に理由があったんです。 理論的に考えられるようになったら、なんでもできるようになりました。レシピを読み取って、おいしくなる最善の道を考えられるようになるんです。」

―独創性があるデザインと素材感を大切にした味。まさにMAneのお菓子の源流を感じるエピソードです。

VISION

―東奔西走した日々を経て、いよいよPâtisserie MAneを立ち上げて。これからの展望や想いはありますか?

「はい。これまでの日々に出会った大切な仲間と一緒に、お店のコンセプトどおり“新たな”挑戦です。」
「実は僕の作るものはなかなか複雑で(笑)、大量生産には向いてない。でもそれはそれでいいって思っています。だからこそ来てくれるお客様もいますから。」

「だけどより多くの人においしいお菓子を届けるためには、技術や知識をちゃんと次の世代に伝えて、職人を育てて、広げていかなくちゃなとも考えています。人が育てば、僕ひとりでは作れないものが作れるようになります。それを常に追求して、誰もやっていないことを追いかけていきたいと、そう思っています。」

それが最新の目標だと、金野シェフは教えてくれました。

おいしいものへの探究心と、ご縁ややりたいことに導かれ、常に新しい挑戦を楽しんできた金野シェフ。

その姿は
「新たな“わたし”が生まれるその時に。」
というMAneのコンセプトそのもののように感じました。

勉強熱心で、仲間思いで、そして誰よりお菓子が大好きで。そんなシェフの人柄が、Pâtisserie MAneのお菓子に表現されているようです。

Credit
Chef pâtissier / Shutarou Konno
Photography / Chihiro Maruyama (cherche)
Director / Maya Ota (KOYA craft)

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